マニフェストの終焉

マニフェストの終焉(2012年12月15日記)

 ◆2012年12月16日総選挙の、各党のマニフェスト・政権公約は、本来のマニフェストとはかけ離れたものである。各党がやりたいことの方針が羅列されているだけで、その実現可能性の検証ができる代物ではない。かつての「公約」そのものである。
 私は、マニフェストの理想型は、2009年8月30日総選挙の民主党のマニフェストであったと思っている。このマニフェストでは、民主党は「工程表」を明らかにした。主要の8政策について、4年間の所要額を明確に示した。そして、その合計16.8兆円について、増税ではなく、既存の歳出を削減することで実現するとしたのである。
 マニフェストとは、まさにこれである。自らが主張する政策の必要経費を明示し、その出所を明らかにしなければならない。

 ◆今回の各党のマニフェストは、こういった工程表・所要額・その調達方法が示されていない。これでは、有権者は、どの政党の政策が実現可能性があるのかどうかの検証すらできない。
 民主党の2009年マニフェストに対しては、私は、増税なしには実現できるものではない、と強く主張してきたし、現実にその通りとなった。民主党から、

ねじれ国会」で野党の協力が得られないから実現できなかった、といった言い訳が出ているが、それは単なる言い訳にすぎない。増税なしには実現できないマニフェストであった。
 しかし、この工程表が出たことで、我々有権者は、民主党の政策の実現可能性を検証できたのである。今の各党のマニフェスト/政権公約はその検証すらできないものである。各党は、マニフェストなどというのはおこがましい。かつての「公約」に戻すか、「政策の方向性」とかに名称を変えるべきである。

 ◆さらに、今回のマニフェスト/政権公約が、本来のマニフェストからかけ離れてしまったのに、各党が党内の意見対立を収斂できなかったことがある。原発、TPPといった国論を二分する論点は、各党内でも議論を二分した。このため、原発を止めるのか止めないのか、TPP交渉に参加するのかしないのか、といった重要問題のスタンスが、マニフェストから読み取りにくい、というよりは、読み取れないように玉虫色にしてしまったのである。
 例えば民主党は、2030年代に廃止といっているが、民主党が取った建設中の原発工事を認めるという政策からすると、2030年代の原発ゼロは事実上難しいものとなる。
 自民党の公約は、328に及ぶ。これらをいつまでに実現するのか、いくらかかるのか、まったく不明である。民主党の2009マニフェストのように、これらの中で、大きな歳出を伴うものを8程度に、その他をまとめて、なぜ所要額を出さなかったのか。

 ◆各党の政策担当者と議論をすると、各党とも「2009民主党マニフェスト」の蹉跌に懲りた、というのである。詳細なものを出して、「実現できていないじゃないか」という批判を受けることを避けたい、というのである。その結果が、今回の「政策方向集」としか言いようがない、マニフェスト/政権公約「もどき」というものになってしまった。しかし、これを許してしまっては、有権者は責任ある政権選択ができないことになる。粘り強く、本来のマニフェストを各党に求めていかなければならない。