平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼

 日本は憲法9条で、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を規定している。これは、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義」を前提としている。国際社会が、オオカミの群れであれば、そこに非武装のヒツジを放つことはありえない。国際社会がヒツジ=平和を愛する諸国民の公正と信義=だという認識のもとに、日本はヒツジであることを憲法で規定したのである。
 しかし、憲法制定後、冷戦が勃発し、多くの戦争が起きた。決して、国際社会は「平和を愛する諸国民の公正と信義」で構成されるものではなかったのである。隣国の北朝鮮は、日本国民を拉致し、またミサイルを日本海に向けて発射する国である。そして今、隣国の中国が、日本にオオカミの牙をむき出しにしている。
 今回の尖閣問題で、外交テクニックの稚拙さが露呈した。しかし、その前提に、憲法前文のこの精神が、外務省、政府、そして国民の中に根付いていることが問題なのではないだろうか?
 私は決して、武装強化を望んでいるのではない。しかし、国際社会が、国益がぶつかり合う、オオカミの世界であることをまず国として認識して、そのうえでどうやって、国際社会の平和、安定に日本が寄与できるのか、その中での日本の国益をどう実現していくのか、が問われているのではないか。
 憲法前文の在り方を、国民的に議論しなけらばならない時期にきているのではなかろうか。
憲法前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」