武雄をめぐるやりとり(ここ数日のメンション相手)について

1.自らの思想、立場の相対化ができていない。

言うまでもないが、世の中には様々な考え方、立場が。自らのその一つにすぎないことを自覚するか否かが、議論が成立するか否かの境目。メンション相手の多くの方は、無前提に「市民」と名乗り、すべての公共性、公益性の代弁者だと思い込んでいる。まず、自らを「一部の市民」、一部の「公共性、公益性」の代弁者、にすぎないと位置付けることができるかどうか・・。

2.民主主義の基本である、選挙、議会の軽視

自らと異なる意見を推し進めることを、強引としてしか捉えられない。独裁的な首長でも4年に一度は、選挙で審判を受ける。議員も同様。実際、私が応援していた中川加西市長、海老根藤沢市長は落選した。また、鎌倉市議会では、私が敬愛する代田前杉並区立和田中校長の教育長人事が議会で否決。それが民主主義。複数の考えがひとつにまとまるのは、極めて稀。多数決に頼らざるを得ないのが民主主義というもの。その結果を、ぼくは淡々と受け止めてきた。

「市民」(ほんとうは「一部の市民」)の意に反する独裁的だと思う市長は、リコールするか、市長選で落選させればいい。選挙は来年ですよ。がんばって!

3.改革の意味を理解しようとしない

私は、改革とは、「市民サービスの向上を、高い費用対効果で実現すること」と考えている。たとえば武雄図書館の閉館時間を9時にするのは、費用(主として人件費)をかければ、簡単なこと。それを費用をかけずにどう実現するか。その際には、マイナス面も出てくるが、総合的に、改革しないままがいいのか(改革がトータルで改悪になる)と考えるのか、トータルに見てプラスと判断するのか、その判断が問われる。なのに、今回のメンション相手の多くは、その総合判断や、市民の総合的な意思を考える気がないとしか思えなかった。こういった意見は、改革を遅らせるという意味で、利権・既得権と同じ立場になっていることに、無自覚。