民主党のエネルギー政策を批判する(1)

【原発積極推進だった民主党のエネルギー政策】
民主党は、2006年、小沢代表下で、原子力発電の積極推進に方針を転換した。そして、2010年6月、エネルギー基本計画で「2020 年までに、9基の原子力発電所の新増設を行う・・さらに、2030 年までに、少なくとも 14 基以上の原子力発電所の新増設を行う。」(鳩山内閣)とした。同時に、CO2削減のために、電源構成中のゼロ・エミッション電源比率を、2030年までに、当時の34%から70%に引き上げることも目標として掲げた。このゼロ・エミッション電源とは、原子力発電と再生可能エネルギーなどを指し、再生可能エネルギーの電源比率は2%ほどに過ぎず、大半が原子力発電であった。
鳩山内閣は、原子力発電の新増設と、再生可能エネルギーの導入推進を二本柱に、CO2などの温室効果ガス25%削減へと取り組んでいこうとしていた。

【福島原子力発電所事故で、方針転換?】
311東日本大震災で、福島第一原子力発電所が深刻な事故を起こした。ここで、原子力政策を根本から見直すのは、当然である。しかし、今でも拙速だったと言わざるを得ないのが、「再生エネルギー推進法」の採決である。原子力発電の推進とセットであった再エネ法が、原発を見直す中で、この法律だけを通すのは、誤りである。再生可能エネルギーの導入によって、間違いなく電気料金は上がっていく。それが、原発に推進によって、相殺ないしは緩和してされていく、というのが、民主党のエネルギー政策の根本にあったはずである。
再生エネ法は、福島原発事故を踏まえて、日本のエネルギー政策全般を見直す中で決めるべきものであった。拙速に、事故直後に決めるべきものではなかったはずである。
今、政府は2030年の原発比率を国民に問い、「2030年代に原発ゼロ」に原発政策の方向性を定めた。その是非は別として、この段階で、再生可能エネルギーのあり方を議論して決めていって、何一つ問題はなかったはずである。所詮、我が国の電源の2%を占めるに過ぎない再生可能エネルギーが、一年、二年という単位で導入が進められようが、遅れようが大勢に影響はない。

【浜岡原発の停止と、大飯原発の再稼働】
菅総理(当時)は、福島第一原子力発電所の事故以降、ほとんどヒステリックとしかいいようがない、原発対応を繰り返した。その第一は、事故直後の福島原子力発電所の「視察」であり、浜岡原子力発電所の停止であった。浜岡原発の停止には、何ら法的根拠はなく、中部電力の「時の総理の判断は重い」という自主的な経営判断によるものであった。
一方、2012年6月、野田総理は、国民世論を二分した大飯原発再稼働に際して、
「豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。」
と、安価で安定した電力供給には、原子力発電が不可欠であると述べている。さらに、
「化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。」とまで述べている。
その上で、夏場だけの再稼働ではなく、継続的な再稼働を決めていったのである。いわば、脱「脱原発依存」宣言とも言えるものであった。

【民主党、政府は、2030年代原発ゼロへ】
大飯原発の継続的再稼働にもかかわらず、民主党、政府は、2030年代の原発ゼロを決定した。西川福井県知事の「野田首相は6月の記者会見で『原発は重要な電源だ』と訴えたばかり。新たなエネルギー政策を示すのであれば発言を思い起こしてほしい」との発言は正鵠を得たものである。
民主党の政策は、原発事故前の、原発と再生可能エネルギーの推進から、まず再生可能エネルギー推進だけを決め、原発については、浜岡を止め、大飯を動かし、そして今、「2030年代原発ゼロ」へと、揺れ続けてきた。
この大きなブレが、我が国の「安価で安定して電気の存在」(野田総理)を脅かすのは間違いない。次の総選挙での、この問題について各党がマニフェストにしっかりと方向性を示し、それをめぐって各党間で議論が行われることを期待したい。
幸い、自民党の総裁候補者はこぞって、民主党のエネルギー政策に批判的であった。民主、自民のマニフェストが、消費税の時のように一致せずに、厳しい論戦を惹起してもらいたいものだ。(続く)