鳴り物入り「事業仕分け」の本当の意味

(某会員向けサイトから発信されるたコラム記事として、11月13日に執筆したものです)
 去る11月11日、行政刷新会議の「事業仕分け」が鳴り物入りで始まった。仕分け作業は完全公開で行われ、インターネットでも生中継された。
 国民注視の中での、官僚と議員や民間の評価者のやりとりは迫力にあふれている。従来、この作業は財務省の中で行われていた。元財務省主計官で、防衛予算を削り込んだことで名を馳せた片山さつき氏によると、「財務省の財政審議会で、各主計官が、その年の削減候補項目を、取り上げて、有識者委員の先生方に、削る方針をバックアップしていただき、業界代表の委員からは、擁護論が出る。その結果をみて、財政審の報告書に、ざっとした方針を書く、そんな感じ」。
 主要国で最悪の状態になっている我が国の財政事情を何よりも熟知している財務省は、ここまでも必死な予算の削減に取り組んできた。しかし、かつて財務省の中で行われたこの作業が、白日の下に晒された効果は計り知れないものがあると思う。財務省が頼る「有識者」は、所詮は財務省の代弁者でしかない。まさに片山氏の言葉にある「削る方針をバックアップしていただける方」である。
 しかし、今回の「事業仕分け」の評価員(仕分け人)たちは、一定の「方針」をバックアップするような人々ではない。たとえば、前我孫子市長の福島浩彦氏。市長時代に「提案型公共サービス民営化制度」を導入している。この制度が画期的だったのは、仕分けの対象を、市の全行政サービスにしたところである。市自らが、行政サービスを1100に分類して、そのすべてをさらけ出して、民間から「参入」の提案を募ったのである。
 2006年に行った第一次募集では、給与計算事務や庁舎の維持管理などには企業から、また学童保育障害児巡回相談や、公園維持管理などにはNPO法人から、79件の応募があった。この大半が、審査委員会の審査を経て、採用されることになった。こういった経験を持つ福島氏の評価は、財務省お抱えの有識者にはない、一歩踏み込んだものになるのは当然である。
 事業仕分けや、我孫子市の「提案型民営化制度」を見ると、小泉元総理の言葉を借りながら整理すれば、「民間でできることは民間で」、「地方でできることは地方で」、さらに「廃止できるものは廃止を」ということになろう。
 しかし、民主党政権が「民間」に求めている役割は、単に「官」の仕事を補完するということではない。民主党はマニフェストで、「住民が・・・公共サービスの提供者・立案者といった自治の担い手として参画する社会を目指します」としている。単に民営化するのではなく、公共サービスへの企業、NPO、個人への参画を促す、ということである。この点は、我孫子市の「民営化制度」の理念である「公共の分野を行政が独占する、あるいは支配する、という時代は終わりました。公共サービスを担う民間企業が増加し、新たな公共の担い手として登場したNPO・・・などの活躍も目覚しいものがあります。これらの民間の主体と行政が対等の立場で協働して、民と官でともに担う「新しい公共」を創ることが求められています。」と共通する。
もう一つ注目すべきは、分権の受け皿としての地方制度である。都道府県が47にも分かれている現状では、たとえば県境を越える道路は県道にはできないし、県を超えて流れる河川もまた、国が管理せざるをえない。もし、都道府県が、全国10前後の道州に集約されれば、分権は加速するはずである。市町村も、1800に集約されたとはいえ、まだまだ分権の受け皿としては小規模な町村も多い。残念ながら、民主党の今の政策でかけているのは、こういった地方制度の再編問題である。たとえば国→道州→市(30万人程度、全国3~400市)といった形になれば、「地方でできることは地方で」は大幅に進むはずである。
今進行している「事業仕分け」は、制度的な根拠も、またその判断の拘束力も不明確である。しかし、政府予算の問題が、国民の前で議論されるようになった意義はきわめて大きい。この作業が、都道府県、市町村のすべての行政組織で進められなければならない。「事業仕分け」の可能性を今後も注視していくべきだ。