SNSでの「議論」の成立について

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)は、双方向の意見交換を可能にする場である。ネット選挙では、この双方向性を活かして候補者と有権者の意見交換が実現すれば、投票先を決める際の有力な情報となるし、政治への民意がより反映されやすくなる可能性も秘めている。

しかし、政治家や選挙期間中の候補者(以下政治家・候補者とする)の多くがこの双方向性を活かすことに、極めて消極的である。その理由を探るために、実験的にTwitter上で、議論をしかけてみた。これは、ネット選挙解禁を控え、政治家・候補者に「SNSの双方向性を活かせ」と訴えるための、自分なりの根拠を得たいからであった。そして実験の結果は、残念ながら政治家・候補者の方に、Twitterでの議論に加わるべきとはとても言えないというものとなった。

Twitter上の、ハッシュタグなどで交わされる議論の場には、匿名もあれば実名もあり、面識のない相手との最低限の礼を守った議論もあれば、そうでないものもある。「玉石混淆」である。しかし、残念ながら多くの場合、「匿名・非礼」が過半を占めている。Twitter上で議論に参加する、橋下徹、樋渡啓祐氏らのTwitterにおいても同様の傾向がみられる。

一部に、「玉石混淆」の中から、礼を守ったしっかりとした発言には対応すべきとの意見もあるが、これは無理である。例えば私に対するメンションの7割、8割が罵詈雑言のときに、残りの2割、3割のまともなものを探し出す作業は、時間的にも精神的にも困難である。政治家・候補者が、Twitterで議論をとても無理、と忌避する理由がここにあることがあらためて理解できた。

本来、双方向の議論が成り立つはずの、SNSのひとつであるTwitterでこのような残念な状況が生まれた原因の一つに、匿名があると考えざるを得ない。例えば、日常では絶対に使わない汚い言葉を使えてしまうのは、匿名だからである。一般の生活ではとても言わない、極端な意見を繰り返し主張してしまうのも、匿名に依るところが大きいのではないか。

先日、復興庁の幹部職員である参事官が、Twitterで匿名で被ばく対策に取り組む市民団体などを中傷する書き込みをくりかえしていたのが、まさにこれにあたる。実名ではとても書けないことを、匿名であるがゆえに書けてしまうことの絶好の例になってしまった。参事官は実名がわかってしまい、処分を受けることとなった。

匿名であること自体は否定しない。しかし、しっかりとした議論を行う際に、匿名でなければ理由はどこにあるのかは、その匿名のご本人がしっかりと考えるべきである。匿名であることが、議論を汚く、無責任なものに流す可能性が高いことを踏まえて、考えるべきである。

SNSで、その双方向性を活かして、市民の間に議論の場ができて欲しい。また、そこに政治家・候補者が関わることで、市民の意見が政治に反映されやすくなって欲しい。そのことが、日本の政治や、ひいては民主主義を変えていく可能性がある。この私の思いは、変わらない。ただ、今の日本のTwitterでは本当に残念であるが、それは期待できないと判断せざるをえない。今、私はFacebookなどの実名系のメディアにその思いの実現を期待し、また実践の作業を始めているところである。