無業社会 (朝日新書) 2014/6/13 工藤 啓 , 西田亮介

【この書評は、『国際公共経済研究』第25号(2014年9月)に掲載されたものです。引用等は、掲載誌からお願いいたします。】

本書は、就職できない、あるいは、就職しない若者を「無業」という言葉括り、この一種の社会病理の解明とその解決策を探ろうとする労作である。ともに若手の実践家と研究者による共著であり、二人のコラボレーションも注目されるところである。

この書の基本的視点は、無業の若者たちは、自らの資質などによってではなく日本の社会システムのあり方からそういった立場に追い込まれている、というところにある。その視点を踏まえて、本書は無業状態の若者を就業へ向かわせるための政治や社会への問いかけを行おうとしている。

この問題意識が現実を動かすところにつながるか否かは、本書がどれだけの説得力をもって本書の読者や広く世間に問いかけられているか、にある。その視点で、私の本書への疑問を述べるところから紹介を始めたい。

 

【無業と生活保護の間】

私は、「失業」という言葉を用いずに、「無業」という言葉を使って仕事に就かない若者の実態を解明し、その一種の社会病理の解決を図ろうとしたのは、本書の卓見だと思っている。

日本では、「失業者」は統計上、月末の一週間に実際に仕事を探した人に限定されており、仕事をそもそも探さない人、探すことをあきらめている人は、そこから除外されている。しかし、現実には働く意思は持ちつつも、求職活動を行わずに「失業者」の定義の枠外に置かれている存在がある。彼らを含めて、「無業者」という新たな概念で括ったのである。そしてその中で、就職活動を行っていない、失業者にも該当しない(非求職型無業者)層に焦点を当てたのが本書である。

しかし若者全体で見れば、非求職型の無業者は一部にすぎない。若者たちは仕事をしている「就業者」、無業者の中で実際に仕事を探している「失業者(求職型無業者)」、そして本書が焦点を当てる「(非求職型)無業者」、そして「ホームレス」、「生活保護受給者」に分かれる。さらにそこには、「学生」も含まれる。本書は、この様に若者全体から問題を考えていく視点に欠けている。本書は、無業状態にある若者からの丁寧なインタビューを行っている。そしてその状態に陥ったきっかけが、人間関係、突然の解雇、就職試験に落ち続けること、などにあることを示している。しかし、強く違和感を持つのは、ホームレスや生活保護受給者となっている無業者からのインタビューがない点である。

無業問題への取り組みが社会的に必要だということを説得力をもって論じるには、親との同居や支援がかなわずぎりぎりの思いで働き続けている若者や、ホームレス、生活保護受給者となっている若者にも目を向ける必要があったのではないか。「働かざる者食うべからず」などと言う気は毛頭もないが、本来、働かなければ食べられないのである。

本書は、「親のすねをかじれるから働かないのでは?」という問いに「正社員でなければ同居するしかない」と答えている。しかし若者たちには、同居できる環境にあるものと、同居しようにもできないものがいる。であるのに、本書は事実上、親との同居が可能か、あるいは一定の支援を得られる「働かなくても食えている、非求職型無業者」にのみ焦点を当ててはいないだろうか。

また、無業は景気変動と無縁ではない。特に、本書で述べられているように、日本で少子化が進むことで、若者自体の人口が減っていく中で、昨今の景気回復が伴えば、有効求人倍率の上昇が続くことは間違いない。今まで「買い手市場」であった労働市場が「売り手市場」に変われば、面接などの選抜のあり方は、求職者に有利な方向で変わっていくものである。その結果、非求職型無業者が再び労働市場に戻っていく可能性は低くないはずである。そうなれば、景気回復によって無業問題は、いわば自動的に縮小していくのかもしれない。この点への論及もあってしかるべきであった。

非求職型無業は、ぎりぎりのところで働き続けている就業者や、失業者(求職型無業)と相当の関連を持つはずなのに、本書はその点の分析に乏しいのである。

 

【無業は、日本独自の問題なのか】

無業の問題は、日本が抱える多くの社会病理の中での一つの各論である。しかし、それは単なるひとつの各論ではなく、「日本の社会システムの歪みの典型的な象徴」であるとするのが、本書の立場である。だからこそ、無業の問題に目を向けて、その解決をはかることが社会的に求められており、そのことが結果的に、日本の社会システムの歪みの是正にもつながるとの思いが込められている。

その上では、無業が日本の社会システムの歪みの結果生じたのか否かが前提となるが、「日本の社会システム」と大上段に構える以上は、他の先進諸国と日本の社会システムの異同をある程度は明らかにする必要がある。少なくとも、無業と関わるところについては、両者の異同について、何らかの言及は必要であっただろう。

欧米諸国の中では若者の失業率が、3割から4割に上る国は数多く存在する。これらの国は、日本に比べて統計上の失業の基準が緩いために、本書がいう「非求職型無業者」の相当部分が失業者に入り込んでいると考えられる。これらの国は、数百万人もの「失業/無業」の若者を抱えている。その中に「非求職型無業者」が、日本以上に含まれている可能性もある。

日本の無業者が、日本独自の「歪み」によって生じたものなのか、成熟段階に達した先進国共通の問題なのかの見極めは、決定的に重要な問題なのである。しっかりとした国際比較を行った上で、「日本」の無業が、「日本の社会システム」の独自の歪みによって生じたことを示すことができれば、本書の価値はより高まったであろう。

 

【求められる具体策の提示】

本書は、無業の若者と実際に取り組む実践家と、社会科学の研究者との共著である。そこで求められるのは、実践事例から発する、なんらかの具体的な解決策の提示である。しかし本書では無業に対する調査の必要性や、「①現段階で困窮している人の救済、②若年無業者の就労促進、③無業者を労働市場に再参入できる仕組み作り」をあげるにとどまっている。日本の社会システムの歪みを是正する総論の提示は難しいにせよ、なんらかの複数の具体策の提示はあってしかるべきではなかっただろうか。

本書の中で、「面接を避けるというわけではないのですが、働きぶりを先にみてもらえるものにチャレンジ」という若者の言葉が紹介されている。企業に対して、面接せずに仮採用をして給料を払い、その姿をみて本採用してほしい、という内容である。本書はこの言葉を肯定的にとらえていると考えられるが、そうであるならば、たとえば、「面接が苦手な若者のために、採用に直結するインターシップ的な制度を日本企業に導入すべき」という具体的な提案があってもよかったのではないか。また、仮に無業の多くが景気の低迷によって生ずるものであるならば、景気の回復によって問題の一定の部分は解決することになる。また、その原因が、日本独自のものであれば日本独自の対策が必要となり、先進主要国共通の問題であれば、その対策の中心は、先進国共通のものとなる。こうした検討の不足が、本書が抽象的な提案に留まっている一因と考えられる。

 

【なぜ、政府の取り組みを検討しないのか】

本書の具体的な提言がなされていないことのより深刻な問題は、政府の政策への言及がないことである。

実際には、政府も、無業や生活保護の問題に長く取り組んできており。2013年秋の国会で、「生活保護法改正案」と「生活困窮者自立支援法案」を成立させている。この自立支援法は、生活保護受給者に限らず、広く失業者(本書が言う無業者を含む)や生活困窮者を就業に導き、自立支援の制度を作り上げようとするものである。

この法律が十分なものだと言うつもりは全くない。しかし本書の執筆段階から、政府の中で具体的にこの議論が展開されており、その情報も公開されていた。本書が主張しようとした、無業の若者を就業に導くという問題意識は、この法律と相当の部分で重なるはずである。しかし本書では一切この法やその制定に至る議論に触れられていない。本書が掲げる問題の本質が日本の社会システムの歪みにあると指摘するのならば、政府の取り組みのどこが不十分なのか、対処の仕方のどこに間違いがあるのか、あるいや問題の把握の仕方に欠陥があるのか、といった指摘はなんとしても必要であったし、私も筆者の見解を知りたいところであった。

無業という一つの社会の病理現象に着目して、それを無業に陥った若者の自己責任の問題ではなく、日本の社会システムの歪みの問題だとする本書の視点は評価できる。そして、この無業問題を国民の多くが認識して対策に取り組むことが、個別の社会問題の解決にとどまらずに、日本の社会システムの歪みの是正につながるとの筆者の思いも理解できる。

しかし、ここまで述べてきたように、本書がそれを一定の説得力をもって人口に膾炙することに成功する構成になっているとは思えない面も多々ある。無業という深刻な問題に取り組む、本書の筆者である若い実践家と研究者とのコラボレーションが進み、実践と研究を深めて、説得力をもった提言がなされることを期待したい。