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AIIB(その2)

これが可能となったのは、ADBへの出資比率であり、日本、アメリカがともにトップの16%ほどを占めており、日米が合意すればADBのトップは事実上決まってしまう。

この国際金融機関の歴代トップを、一国の財務省のNO2が独占してきたというこの事実だけで、AIIBの成功の根拠が示されたことになろう。さらに、このADBが途上国のニーズを満たしてこなかったという、実態的な批判も強かった。融資の制約や油脂決定までの時間がかかることなどで、途上国のニーズを満たすものではなく、その改革も遅々として進んでこなかった。

こういったことを、如実に証明するのが、AIIBの成功の前に、ADBが融資決定の迅速化などの改革をあわてて行っていることである。

AIIBに対して、日本政府は「組織運営のガバナンスや透明性」を求めており、現段階では参加を表明していない。しかし、アジアの大半の国、さらに英・仏・独・伊などの主要国が参加を決めている(最終的には各国での批准が必要だが)ということは、「ガバナンス・透明性」に大きな問題はないと判断しているということだ。

今後、大きなインフラ整備の資金需要が生じるアジアで、トップを日本の財務省OBが独占し続けているようなADBだけではダメだという、世界の世論が、中国の高度な外交戦略を後押ししたと考えるべきである。(completed)

AIIB(その1)

「AIIBの成功は、大蔵・財務のADB総裁独占にあり? 」

アジアに二つの国際銀行ができる。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)と、日米主導のアジア開発銀行(ADB)である。途上国の開発の金融支援が二元化することは、効率的にみて、好ましいことではない。なぜADBがあるのに、AIIBが作られたのか。そしてそのAIIBにアジアのほとんどの国と、世界の主要国の57カ国もの国々が集まった。それはなぜなのか。
AIIBの成功を、中国の外交戦略の前に日本外交が敗北したとかも言われている。しかし私は、この成功の原因は、日本の財務省のADBへの関わりへの世界の批判があったとみている。
ADBは、日本の旧大蔵省の主導で、1966年に発足した。本部こそマニラにあるものの、以下に示すように歴代総裁はすべて日本人である。

渡辺武                                   1966年11月 – 1972年11月
井上四郎                              1972年11月 – 1976年11月
吉田太郎一                         1976年11月 – 1981年11月
藤岡眞佐夫                         1981年11月 – 1989年11月
垂水公正                              1989年11月 – 1993年11月
佐藤光夫                              1993年11月 – 1999年1月
千野忠男                              1999年 1月 –   2005年2月
黒田東彦                               2005年 2月 –  2013年3月
中尾武彦                               2013年 4月 –

現日銀総裁の黒田東彦氏の名前が見られるように、彼らはみな大蔵・財務の出身者であり、NO2の地位である「財務官」出身者である。国際機関であるADBが実は、財務省の天下り先となっているのである。(to be continued)

ふぐの白子酒

最近のお気に入り。ちょっと高いんだけど、「ふぐの白子酒」。丁寧に白子をすりつぶして、(それこそ10分もかけて)、熱いお酒に。どぶろくのように白濁し、味はやわらかい。あるお店では「これを飲んじゃうと、ひれ酒は飲めなくなりますよね」と店主が。御意。

日本国憲法の平和主義

日本国憲法の特色に、基本的人権の尊重、三権分立、平和主義があげられるが、前2者は現代の主要国家共通のものであり、平和主義こそが日本国憲法独自の特色である。この平和主義は、憲法前文の「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」という認識と、それに基づく憲法9条の「戦争」「武力の行使」を放棄し、「戦力」を保持せず、「交戦権」を認めない、から成っている。
憲法9条の是非やその解釈は、多く議論されているが、私はなによりもこの9条を支える憲法前文の世界情勢や国際関係についての見方、認識について議論すべきだと考えている。

人類は二度の世界大戦を経験しているが、第一次世界大戦では、戦後、戦勝国も軍縮に取り組んだ。戦争のない世界を、軍縮により実現しようという思いがあったのである。しかし、第二次大戦では、敗戦国である日本、ドイツ、イタリアに武装解除を求めたものの、戦勝国は軍縮に取り組むことはなかった。軍縮により平和の実現をはかろうとした第一次大戦後と違い、第二次世界大戦後の国際社会は、戦勝国の武力でもって、平和を維持しようとしてきたのである。
憲法前文にある「平和を維持し、専制と隷従・・を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会」とは、日本の憲法9条にある武力放棄でもって平和を志向するものはなく、戦勝国の武力でもって平和を維持しようとしたものなのである。
このことは国連の、国際社会の平和の維持のもっとも重要な役割を占める安全保障理事会の常任理事国を、戦勝国5カ国が独占を続けていることからもあきらかである。これらの国は、すべて核保有国でもある。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とある。もしこの理念が現実の国際社会の中にもあるのであれば、戦後70年近くにわたって世界の憲法の中でも稀な平和主義を掲げる憲法を維持してきたわが国こそ、安全保障理事会の常任理事国という「名誉ある地位」を得て当然のはずである。しかし、現実には得られていない。

さらに、戦後の国際社会は実際に多くの戦争、紛争を経験してきた。「平和を愛する諸国民」同士が、戦争を繰り返してきたのである。また日本の国民を拉致し、日本に向けてミサイルを発射する北朝鮮も国際社会の一員である。国際関係は日々、変化するものである。終わったと思われていた冷戦が、ウクライナ危機で復活しつつある。またアメリカとの軍事同盟を1992年に破棄したフィリピンが、中国の脅威の前に再びアメリカとの軍事同盟を組んだ。これが、国際社会の現実である。

日本国憲法のすべての前提には、日本国民の「安全と生存」の保持があるはずである。これを、「平和を愛する諸国民」を信頼して保持できるのか否かが問われるべきなのである。

日本は、9条の規定にかかわらず、すでに現実に自衛隊という紛れも無い「戦力を保持しており、アメリカとの軍事協定の中でわが国の「安全と生存」を保持している。日本の「安全と生存」の保持の実際のあり方と、憲法前文、9条との間には間違いなく大きなギャップがある。ふと思い出したのが、1994年の自民党・社会党・さきがけの連立政権である。当時の自民党は、政権復帰のために、社会党左派の、護憲主義者の村山富一氏に国政を委ねた。その際に自民党中枢が村山氏に尋ねたのはたった二点だったという。ひとつは、自衛隊を解体するのか、もう一つが日米安全保障条約を破棄するのか。村山氏の答えはいずれもノーであったという。

集団的自衛権をめぐって、憲法解釈の変更が議論されている。今こそ、日本の「安全と生存」の保持のあり方を問いなおすいい機会である。私はその議論は、憲法前文の世界情勢「観」の見直しから始めるべきだと考えている。

障害者差別解消法施行へ

障害者差別解消法の施行(2016年4月)

1.国連障害者基本条約の批准
2.障害者差別解消法
3.「社会的障壁除去」の作業フロー
4.施行に向けての課題
5.補遺

1.国連障害者基本条約の批准

障害者差別解消法は、2013年6月19日参議院本会議で全会一致で可決され、成立した。これは、2006年12月、国連で採択された障害者権利条約の批准のための国内法整備の一環であり、その最終段階のものであった。

まず、2011年8月、障害者基本法が改正された。この改正では、障害の有無にかかわらず、人格と個性を尊重する「共生社会」の実現が目的に掲げられ(第1条=条文は文末、以下同様)、また、障害者の定義も見直され、「制度や慣行など社会的障壁により日常・社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」、とされた(第2条)。さらに政府に障害者基本計画の策定を義務づけ(第11条)、その計画策定への意見具申や、計画の実施の監視のために「障害者政策委員会」の設置も決められた(第32条 )。委員会は、2012年5月に設置され、その初代委員長が石川准静岡県立大教授であった(任期は2年。2014年8月段階で後任は未定)。

その障害者基本法の改正を受けて作られたのが、障害者差別解消法であった。そして、この障害者差別解消法の成立をもって国内法の整備が終わったとして、2013年12月、国連障害者権利条約が批准されることとなったのである。

2.障害者差別解消法

この法律は、先に成立した改正障害者基本法に則り、「社会的障壁」の除去について、行政機関等は義務(第7条2)とされ、民間の事業者は努力義務(第8条2)とされた。しかし、行政機関等や事業者は、社会的障壁の除去が求められているわけではなく、障害者からの除去を求める「意思の表明」(第7条2、第8条2)があってはじめてその除去が義務ないしは努力義務として実施されることになっている。さらに、除去の実施が義務である行政機関等も、除去のために「負担が過重」である場合は、その義務が免除される規定になっている(第7条2)。

また、「政府は、障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策を総合的かつ一体的に実施するため、障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(以下「基本方針」という。)を定めなければならない。」(第6条)とされている。この法律が実効をもって施行されるためには、政府がこの基本方針を速やかに定めなければならない。その方針を定める際には、実際の社会的障壁の除去にいたる作業フローを多面的に検討する必要がある。

3.「社会的障壁除去」の作業フロー

社会的障壁が世の中のあらゆるところに存在するものである以上、その除去に取り組むケースは数限りなく出てくるはずである。ここでは、【障害者が、視覚等が不自由といった理由で、ある公共図書館にある、ある紙の書籍が利用できないという社会的障壁に直面したケース】を例として取り上げ、行政機関等や事業者に求められる対応を検討していきたい。

作業フローは、まず、「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明」(第7条2)として、障害者が、ある図書館でそこの所蔵本の紙の書籍による読書ができないという「社会的障壁」の除去、つまり書籍の点字化、朗読、電子書籍化による音声読み上げや、拡大などを求める「意思の表明」を行うことから始まる。

そしてその表明を受けた「行政機関等」である公共図書館は、「社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。」(第7条2)ので、除去の実施に取り組むことになる。この作業フローの中で、少なくとも以下の3点は明確にされる必要がある。

第一は、【誰に表明するのか】である。まず「意思の表明」を誰に行うのかが問題となる。障害者には、一般には、「意思の表明」を誰にすればいいかは不明であるはずで、図書館職員の誰もがこの表明を受ける可能性があることになる。このため図書館では少なくとも、その表明を受け取る担当者が決められていなければならず、全職員にそのような「意思の表明」があった場合に、それを担当者につなげなければならないことが周知されていなければならない。

第二は【表明があった場合の対応】である。障害者からの、紙の書籍のままでは読書ができない、という「意思の表明」に対する対応方法も明確にされていなければならない。そこでは、①「意思の表明」を受けたことの確認(表明した障害者の氏名、受理日、受理者など)。②回答の期限、回答の方法の提示、が最低限必要である。その回答期限は、受理した機関によって大きな差があってはならないので、標準的な期限が定められるべきであろう。また、回答の方法は、「意思の表明」をした障害者の障害に応じて、電話、メール、郵送などの手段が、障害者と協議をもって決められるべきである。

第三は【回答の内容】である。行政機関等は、除去の実施についての合理的配慮が求められており、基本的には回答には、いつまでにどのような方法で社会的障壁の除去の実施を行うか、が記される必要がある。また障害者差別解消法では、障害者からの「意思の表明」があった場合の対応について、「その実施に伴う負担が過重でないときは」(第7条2,第8条2)という留保条件がつけられている。もし、障害者からの「意思の表明」にたいして、負担が過重であることを理由に対応しないとなった場合、その根拠、基準の説明が必要となる。また、その基準が、図書館ごとに異なることになると、対応できないことの当事者の納得や社会的合意を得ることは困難になる。「過重な負担の基準」についての、なんらかの指針も必要となろう。

ここでは、社会的障壁の除去が義務づけられている「行政機関等」を例としてとりあげてきたが、事業者はあくまで努力義務であるから、対応は不要ということにはならないはずである。たとえば、私立大学の図書館が障害者から読書についての社会的障壁の除去の表明があった場合に、事業者なのでその義務はないから、といって拒否できるであろうか?

障害者にとって、社会的障壁の除去の表明の相手が、行政機関等であるか、事業者であるかは、じつは関心のないことである。実際に除去されるかどうかが問題なのである。A社は誠実に対応してくれたのに、B社は門前払いだ、ということが起きづらくなる環境作りも必要であろう。

4.施行に向けての課題

障害者差別解消法の施行は、2016年4月であり、あと1年半強を残すにすぎない。しかし、社会的障壁の除去の実施に至る作業は複雑であり、様々なケースへの対応が求められるが、政府の「基本方針」が未だ示されていない。この法律が予定通り施行されるためには、一日も早く基本方針が定められ、それに応じた諸施策の準備が必要である。

2006年12月の国連の障害者権利条約の採択から始まった、日本の障害者政策の全面的見直しの総決算が、この障害者差別解消法ともいえる。この法の成立を受けて、その国連障害者権利条約を日本も批准することになった。

こういった長い道のりを無駄にしないためには、単に政府に対応を求めるだけでなく、この法律の意義を、障害者、行政機関等、事業者らの当事者だけでなく、人口に広く膾炙させる必要である。その広範な理解、支持の上で初めて、この法律のスムーズな施行が可能になるのである。

5..補遺
①障害者政策見直しの推移

2006年12月 国連で障害者権利条約が採択。
2007年9月 権利条約に日本政府署名
2008年5月 権利条約発効(中国など20カ国以上が批准)
2011年8月 改正障害者基本法が成立。
2012年4月 障害者政策委員会初代委員長に石川准氏
2013年4月 障害者差別解消法閣議決定、
2013年6月 障害者差別解消法成立、公布
2013年12月 国連障害者権利条約批准
2014年1月 国連が日本の批准承認
2016年4月 障害者差別解消法施行

②関係法令(本論で触れたもの)

障害者基本法第1条

この法律は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのつとり、全ての国民が、障害の有無によつて分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本原則を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。

第2条

この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。一  障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。二  社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

第11条

政府は、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、障害者のための施策に関する基本的な計画(以下「障害者基本計画」という。)を策定しなければならない。

第32条

内閣府に、障害者政策委員会(以下「政策委員会」という。)を置く。2  政策委員会は、次に掲げる事務をつかさどる。一  障害者基本計画に関し、第十一条第四項(同条第九項において準用する場合を含む。)に規定する事項を処理すること。二  前号に規定する事項に関し、調査審議し、必要があると認めるときは、内閣総理大臣又は関係各大臣に対し、意見を述べること。三  障害者基本計画の実施状況を監視し、必要があると認めるときは、内閣総理大臣又は内閣総理大臣を通じて関係各大臣に勧告すること。3  内閣総理大臣又は関係各大臣は、前項第三号の規定による勧告に基づき講じた施策について政策委員会に報告しなければならない。

障害者差別解消法第6条

政府は障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策を総合的かつ一体的に実施するため、障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(以下「基本方針」という。)を定めなければならない。第6条 政府は障害を理由とする差別の解消の推進に関する施策を総合的かつ一体的に実施するため、障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針(以下「基本方針」という。)を定めなければならない。)

第7条

行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。
2 行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。

第8条 事業者は、その事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。
2 事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障害の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。

(了)

武雄市ICT教育リンク集

佐賀県武雄市は、2014年4月に、全小学生にタブレット端末を配布。2015年4月には全中学生に配布。2014年5月からは、そのタブレットを活用した反転学習(武雄市では、スマイル学習)、10月からはプログラミング教育などを開始。東洋大学は、このスマイル学習,プログラミング教育の検証作業を行っています。本ページは、その関連リンク集です。

◆武雄市「ICTを活用した教育」2014年度第二次報告要約版→東洋大学が行った武雄市の「ICTを活用した教育」についての第二次検証報告(2014年9月)の要約版です、
https://www.city.takeo.lg.jp/kyouiku/docs/20150928kyouiku02.pdf

◆武雄市「ICTを活用した教育」2014年度検証報告Kindle版→上記の報告の要約版+本編のKindle版(500円)です。
http://www.amazon.co.jp/dp/B0175XMFAW

◆プログラミング学習についての、東洋大竹村学長、南場DeNA会長の対談(児童作品の動画があります)
http://www.toyo.ac.jp/site/gakuhou/dena-toyo.html

◆東洋大学学報「産学官連携によるICT教育の推進を目指してhttp://www.toyo.ac.jp/site/gakuhou2014/51428.html

◆プログラミング学習・記者発表(2014年6月25日)「武雄市にて「武雄市✗DeNA✗東洋大学 小学校1年生向けプログラミング教育実証研究プロジェクト」(ustream中継)http://www.ustream.tv/recorded/49176273

◆川崎修平(DeNA/CTO)会見全文http://dena.com/jp/csr/programing-education/detail/

◆プログラミング教育開始の会見記事(2014年6月)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/25/takeo-programming-tomoko-namba_n_5531849.html

無業社会 (朝日新書) 2014/6/13 工藤 啓 , 西田亮介

【この書評は、『国際公共経済研究』第25号(2014年9月)に掲載されたものです。引用等は、掲載誌からお願いいたします。】

本書は、就職できない、あるいは、就職しない若者を「無業」という言葉括り、この一種の社会病理の解明とその解決策を探ろうとする労作である。ともに若手の実践家と研究者による共著であり、二人のコラボレーションも注目されるところである。

この書の基本的視点は、無業の若者たちは、自らの資質などによってではなく日本の社会システムのあり方からそういった立場に追い込まれている、というところにある。その視点を踏まえて、本書は無業状態の若者を就業へ向かわせるための政治や社会への問いかけを行おうとしている。

この問題意識が現実を動かすところにつながるか否かは、本書がどれだけの説得力をもって本書の読者や広く世間に問いかけられているか、にある。その視点で、私の本書への疑問を述べるところから紹介を始めたい。

 

【無業と生活保護の間】

私は、「失業」という言葉を用いずに、「無業」という言葉を使って仕事に就かない若者の実態を解明し、その一種の社会病理の解決を図ろうとしたのは、本書の卓見だと思っている。

日本では、「失業者」は統計上、月末の一週間に実際に仕事を探した人に限定されており、仕事をそもそも探さない人、探すことをあきらめている人は、そこから除外されている。しかし、現実には働く意思は持ちつつも、求職活動を行わずに「失業者」の定義の枠外に置かれている存在がある。彼らを含めて、「無業者」という新たな概念で括ったのである。そしてその中で、就職活動を行っていない、失業者にも該当しない(非求職型無業者)層に焦点を当てたのが本書である。

しかし若者全体で見れば、非求職型の無業者は一部にすぎない。若者たちは仕事をしている「就業者」、無業者の中で実際に仕事を探している「失業者(求職型無業者)」、そして本書が焦点を当てる「(非求職型)無業者」、そして「ホームレス」、「生活保護受給者」に分かれる。さらにそこには、「学生」も含まれる。本書は、この様に若者全体から問題を考えていく視点に欠けている。本書は、無業状態にある若者からの丁寧なインタビューを行っている。そしてその状態に陥ったきっかけが、人間関係、突然の解雇、就職試験に落ち続けること、などにあることを示している。しかし、強く違和感を持つのは、ホームレスや生活保護受給者となっている無業者からのインタビューがない点である。

無業問題への取り組みが社会的に必要だということを説得力をもって論じるには、親との同居や支援がかなわずぎりぎりの思いで働き続けている若者や、ホームレス、生活保護受給者となっている若者にも目を向ける必要があったのではないか。「働かざる者食うべからず」などと言う気は毛頭もないが、本来、働かなければ食べられないのである。

本書は、「親のすねをかじれるから働かないのでは?」という問いに「正社員でなければ同居するしかない」と答えている。しかし若者たちには、同居できる環境にあるものと、同居しようにもできないものがいる。であるのに、本書は事実上、親との同居が可能か、あるいは一定の支援を得られる「働かなくても食えている、非求職型無業者」にのみ焦点を当ててはいないだろうか。

また、無業は景気変動と無縁ではない。特に、本書で述べられているように、日本で少子化が進むことで、若者自体の人口が減っていく中で、昨今の景気回復が伴えば、有効求人倍率の上昇が続くことは間違いない。今まで「買い手市場」であった労働市場が「売り手市場」に変われば、面接などの選抜のあり方は、求職者に有利な方向で変わっていくものである。その結果、非求職型無業者が再び労働市場に戻っていく可能性は低くないはずである。そうなれば、景気回復によって無業問題は、いわば自動的に縮小していくのかもしれない。この点への論及もあってしかるべきであった。

非求職型無業は、ぎりぎりのところで働き続けている就業者や、失業者(求職型無業)と相当の関連を持つはずなのに、本書はその点の分析に乏しいのである。

 

【無業は、日本独自の問題なのか】

無業の問題は、日本が抱える多くの社会病理の中での一つの各論である。しかし、それは単なるひとつの各論ではなく、「日本の社会システムの歪みの典型的な象徴」であるとするのが、本書の立場である。だからこそ、無業の問題に目を向けて、その解決をはかることが社会的に求められており、そのことが結果的に、日本の社会システムの歪みの是正にもつながるとの思いが込められている。

その上では、無業が日本の社会システムの歪みの結果生じたのか否かが前提となるが、「日本の社会システム」と大上段に構える以上は、他の先進諸国と日本の社会システムの異同をある程度は明らかにする必要がある。少なくとも、無業と関わるところについては、両者の異同について、何らかの言及は必要であっただろう。

欧米諸国の中では若者の失業率が、3割から4割に上る国は数多く存在する。これらの国は、日本に比べて統計上の失業の基準が緩いために、本書がいう「非求職型無業者」の相当部分が失業者に入り込んでいると考えられる。これらの国は、数百万人もの「失業/無業」の若者を抱えている。その中に「非求職型無業者」が、日本以上に含まれている可能性もある。

日本の無業者が、日本独自の「歪み」によって生じたものなのか、成熟段階に達した先進国共通の問題なのかの見極めは、決定的に重要な問題なのである。しっかりとした国際比較を行った上で、「日本」の無業が、「日本の社会システム」の独自の歪みによって生じたことを示すことができれば、本書の価値はより高まったであろう。

 

【求められる具体策の提示】

本書は、無業の若者と実際に取り組む実践家と、社会科学の研究者との共著である。そこで求められるのは、実践事例から発する、なんらかの具体的な解決策の提示である。しかし本書では無業に対する調査の必要性や、「①現段階で困窮している人の救済、②若年無業者の就労促進、③無業者を労働市場に再参入できる仕組み作り」をあげるにとどまっている。日本の社会システムの歪みを是正する総論の提示は難しいにせよ、なんらかの複数の具体策の提示はあってしかるべきではなかっただろうか。

本書の中で、「面接を避けるというわけではないのですが、働きぶりを先にみてもらえるものにチャレンジ」という若者の言葉が紹介されている。企業に対して、面接せずに仮採用をして給料を払い、その姿をみて本採用してほしい、という内容である。本書はこの言葉を肯定的にとらえていると考えられるが、そうであるならば、たとえば、「面接が苦手な若者のために、採用に直結するインターシップ的な制度を日本企業に導入すべき」という具体的な提案があってもよかったのではないか。また、仮に無業の多くが景気の低迷によって生ずるものであるならば、景気の回復によって問題の一定の部分は解決することになる。また、その原因が、日本独自のものであれば日本独自の対策が必要となり、先進主要国共通の問題であれば、その対策の中心は、先進国共通のものとなる。こうした検討の不足が、本書が抽象的な提案に留まっている一因と考えられる。

 

【なぜ、政府の取り組みを検討しないのか】

本書の具体的な提言がなされていないことのより深刻な問題は、政府の政策への言及がないことである。

実際には、政府も、無業や生活保護の問題に長く取り組んできており。2013年秋の国会で、「生活保護法改正案」と「生活困窮者自立支援法案」を成立させている。この自立支援法は、生活保護受給者に限らず、広く失業者(本書が言う無業者を含む)や生活困窮者を就業に導き、自立支援の制度を作り上げようとするものである。

この法律が十分なものだと言うつもりは全くない。しかし本書の執筆段階から、政府の中で具体的にこの議論が展開されており、その情報も公開されていた。本書が主張しようとした、無業の若者を就業に導くという問題意識は、この法律と相当の部分で重なるはずである。しかし本書では一切この法やその制定に至る議論に触れられていない。本書が掲げる問題の本質が日本の社会システムの歪みにあると指摘するのならば、政府の取り組みのどこが不十分なのか、対処の仕方のどこに間違いがあるのか、あるいや問題の把握の仕方に欠陥があるのか、といった指摘はなんとしても必要であったし、私も筆者の見解を知りたいところであった。

無業という一つの社会の病理現象に着目して、それを無業に陥った若者の自己責任の問題ではなく、日本の社会システムの歪みの問題だとする本書の視点は評価できる。そして、この無業問題を国民の多くが認識して対策に取り組むことが、個別の社会問題の解決にとどまらずに、日本の社会システムの歪みの是正につながるとの筆者の思いも理解できる。

しかし、ここまで述べてきたように、本書がそれを一定の説得力をもって人口に膾炙することに成功する構成になっているとは思えない面も多々ある。無業という深刻な問題に取り組む、本書の筆者である若い実践家と研究者とのコラボレーションが進み、実践と研究を深めて、説得力をもった提言がなされることを期待したい。

フライング(発売前)書評 樋渡啓祐著『沸騰!図書館』(角川oneテーマ21)

【5月10日発売のこの本を、9日、twitterで紹介しました。】

「閉館は夕方。それ以降に利用したいと思う市民がいてもまず利用できない」「僕はこういう図書館が嫌い」。「本は人生を豊かにする。その本が集まる図書館は多くの人が利用できるようにするべきだ。」。御意!

改革後、来館者は3.2倍。つい先日、100万人を突破。まさに「多くの人が利用」できるようになった。ちなみに、改革前後で、年間開館時間は、なんと2倍超。開館時間が延び、休館日がなくなったから。それにしても、2倍は見事!しかしこれに文句を言う人も!

その文句を言う人として、この書で批判されているのが、図書館総合展(2013年10月)の「武雄市図書館を検証する」シンポに、樋渡啓祐市長と登壇した、糸賀雅児・慶応義塾大教授。僕はこのシンポの記録を見ていたので、本書の中での市長の反批判に、快哉!

糸賀教授の武雄市図書館批判はシンプル。「来館者は、3.2倍になっているが、図書貸し出し数は1.6倍」。これでは、成功とは言えない、と。来館者の大半は、スタバと雑誌だ。図書館じゃなくて「ブックカフェ」「マガジンカフェ」とまで言い切っている。

糸賀教授は、来館者数と図書貸出数の変化は同じであるべきだ、と述べているが、来館者数の伸びに、貸出数が追いついていないことが、武雄市図書館の改革を否定する論理になぜなるのか?減っていれば問題なのはわかるが、1.6倍にも!!なっているのに・・。

僕は、何度も武雄市図書館を訪れている。残念ながらまだ本を借りたことはない。でも、スタバのコーヒーを飲みながらページをめくるのは、至福の時間である。しかし、糸賀教授からすると、僕は図書館の目的外利用者で、員数外らしい。

糸賀教授は、図書館総合展シンポでは、武雄市図書館と伊万里市図書館を比較して、武雄の図書館資料の利用率が低い、とも批判している。カフェも新刊書店もない伊万里市図書館と比較することが疑問だし、図書貸出数が1.6倍になっていることから類推するに、図書館資料の利用絶対数も増えているはず。

樋渡市長の本書にある「本は人生を豊かにする。その本が集まる図書館は多くの人が利用できるようにするべきだ。」として、見事に来館者数3倍超を実現したことにたいして、糸賀氏が貸出数の伸びが追いつかないことなどをもって批判する学術的根拠が僕には理解できない。

ひとつだけ糸賀氏がすごいと思うのは、武雄市図書館を「フックカフェ」「マガジンカフェ」「武雄ナレッジパーク」「知のワンダーランド武雄ドーム」と、図書館以外のネーミングをたくさん出しているところ。樋渡さん、いっそ武雄市図書館を「知のワンダーランド・武雄」とかに変えちゃえば??(了)

日本国憲法前文の世界情勢「観」②完

再び日本国憲法前文である。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とある。もしこの理念が現実の国際社会の中にもあるのであれば、戦後70年近くにわたって世界の憲法の中でも稀な平和主義を掲げる憲法を維持してきたわが国こそ、安全保障理事会の常任理事国という「名誉ある地位」を得て当然のはずである。しかし、現実には得られていない。

さらに、戦後の国際社会は実際に多くの戦争、紛争を経験してきた。「平和を愛する諸国民」同士が、戦争を繰り返してきたのである。また日本の国民を拉致し、日本に向けてミサイルを発射する北朝鮮も国際社会の一員である。国際関係は日々、変化するものである。終わったと思われていた冷戦が、ウクライナ危機で復活しつつある。またアメリカとの軍事同盟を1992年に破棄したフィリピンが、中国の脅威の前に再びアメリカとの軍事同盟を組んだ。これが、国際社会の現実である。

日本国憲法のすべての前提には、日本国民の「安全と生存」の保持があるはずである。これを、「平和を愛する諸国民」を信頼して保持できるのか否かが問われるべきなのである。

日本は、9条の規定にかかわらず、すでに現実に自衛隊という紛れも無い「戦力を保持しており、アメリカとの軍事協定の中でわが国の「安全と生存」を保持している。日本の「安全と生存」の保持の実際のあり方と、憲法前文、9条との間には間違いなく大きなギャップがある。ふと思い出したのが、1994年の自民党・社会党・さきがけの連立政権である。当時の自民党は、政権復帰のために、社会党左派の、護憲主義者の村山富一氏に国政を委ねた。その際に自民党中枢が村山氏に尋ねたのはたった二点だったという。ひとつは、自衛隊を解体するのか、もう一つが日米安全保障条約を破棄するのか。村山氏の答えはいずれもノーであったという。

集団的自衛権をめぐって、憲法解釈の変更が議論されている。今こそ、日本の「安全と生存」の保持のあり方を問いなおすいい機会である。私はその議論は、憲法前文の世界情勢「観」の見直しから始めるべきだと考えている。