横浜市保育所民営化

横浜市では、保育待機児童を大量に抱えながら、同時に保育ニーズの多様化への対応という課題も抱えていた。財政再建という大きな課題の中、横浜市は保育所民営化の方針を打ち出し、04,05,06年と1年4園ずつ、計12園を民営化し、今後同じペースでさらに民営化を進めることとなっている。

しかし、04年の民営化に際して、一部の保護者家族から、保育所民営化を差し止め、損害賠償を求める訴訟を起こされた。06年5月、横浜地方裁判所は、民営化自体を違法としたわけではないが、04年の民営化については違法判断を下し、さらに原告である保護者家族に、一家族10万円の損害賠償を認め、この判決に対して、市は控訴することとなった。

本稿では、横浜市における保育所民営化や裁判の経緯を整理しながら、自治体における保育行政のあり方について検討することとする。

 

1.横浜市保育の現状

1.1 激増する保育申し込み児童数と保育ニーズの多様化

少子化が大きな社会問題となっている中で、横浜市では保育所入所申し込み数の増加に対して、保育所定員が追いつかずいわゆる「待機児童」が増加していた。このため、市は1997年に「緊急保育計画」、2001年に「よこはま子育て支援計画」を立て、待機児童対策を進め、02年には、「中期政策プラン」の中において、06年待機児童ゼロを打ち出すに至った。

01年には、23,761人であった入所申し込み数は、06年には、32,999人まで9,238人増加している。5年間で4割近い増加率である。市はこの間に100ヶ所を越える保育所の増設などで保育定員を、22,700人から32,994人まで増やしていった。この結果、待機児童数は、02年の1140人を、06年、353人まで減らしていった。

さらに、保育へのニーズは、保育時間延長や、一時保育、休日保育、夜間保育、病後児保育、乳児保育など、多様化していった。これは、女性の社会進出が進み、さらに保護者の勤務形態の多様化、保護者の子育てに対する意識変化などによるものと思われる。

横浜市では、待機児童数の増加と、保育ニーズに多様化への対応という二つの大きな保育課題を背負っていたことになる。

 

1.2 保育ニーズへの対応の官民格差

横浜市は、03年2月、市児童福祉審議会から「保育サービスの充実に受けて保育所のあり方と行政の役割はどうあるべきか」についての意見具申を受けた。

そこで「横浜市の保育施策について問題点・課題を整理」するとして、市の保育所の現状が取りまとめられた。03年1月段階での横浜市の認可保育所の設置数は261、うち公立(公設民営2を含む)127、民間134であった。定員は公立、10,758人、民間13,577人の合計24,335人であった。施設数では公立が49%、定員では44%を占めていたことになる。

ここでの調査によって、保育時間延長等の保育サービスについて、公立と民間保育所において、顕著な差が出た(図表1)。18時30分を越えて保育を行っている保育所は、民間の96ヶ所(73%)に対して、公立ではなんとゼロであった。もっとも保護者からのニーズの大きい延長保育について、まったく対応できていない公立保育所の現状が見事にあぶりだされてしまった。

さらに、一時保育についても、民間の42ヶ所(32%)に対しても、公立はゼロ。乳児保育も、民間の106ヶ所(81%)に対して、公立72ヶ所(57%)、外国人保育も、民間106ヶ所(81%)に対して、公立95箇所(75%)と差をつけられている。公立が民間を上回ったのは、公立が100%(民間55ヶ所、42%)実施している障害児保育ぐらいのものであった。

いうまでもなく、これら公立、民間の261の保育所は認可保育所であり、建物や職員配置などの基準は児童福祉法で定められたものを同様に満たしている。さらに公立、民間問わず保育料は同じである。一般に民間に対して投げかけられる「安かろう、悪かろう」の懸念は、民間保育所が認可保育所であるかぎりありえないのである。

さらに、この『意見具申』では運営経費の公立、民間比較も行われている。120人定員で、同等の開所時間や保育サービスを実施した場合の比較が示され、人件費では、公立が20.6%高く、事務費等を加えても、公立が17.0%高くなっている。敢えて言えば、公立の「高かろう、悪かろう」の実態が明らかにされた、ということである。

問題は、その原因であるがこの『具申』では、

「公立保育所のニーズ対応が遅れる要因としては、予算制度の制約などがあること、また時間延長サービスの実施に見られるように、新たな保育サービスを提供する場合、公立保育所は公共の立場から広く均一に市民サービスを実施することが求められ、全区展開ないしは大型園全園実施など事業規模が大きくなる傾向があり、地域ごとに異なる様々な保育ニースに柔軟に対応することを難しくしているのではないかと考えられます。」

としている。

しかし、公立保育所でも、時間延長、乳児保育、外国人保育では一部の園でのみ実施されており、全園実施しているわけではない。ここに述べられていない、公務員の労働条件への配慮等の原因があるとしか考えられない。

 

1.3 保育所民営化の提言

こういった現状を踏まえて、『具申』で

「民間保育所が公立保育所に比べて「柔軟かつ効率的な運営が期待できる」点に着目し、今後は公立保育所の民営化について児童福祉を増進するという観点を踏まえて実施いていくことが必要」

との提言を出した。これを受けて、市では03年4月、『今後の重点保育施策(方針)-保育サービスのさらなる充実に向けてー』において、

「延長保育や一時保育、休日保育などの様々な保育ニーズが要望されていることから、地域で求められる保育ニーズに柔軟に対応することを目的として、私立保育所の民営化を進めます。」

との方針を示した。さらに、04年4月から、「私立保育所の多い区から順に各区1園ずつ移管し、年4園程度の民営化」することとし、丸山台保育園(港南区)、鶴ヶ峰保育園(旭区)、岸根保育園(港北区)、柿の木台保育園(青葉区)の4区を、初年度民営化園として選定した。

また、民営化に際しては、『具申』で

「(ア)運営主体の選定に当たっては地域の保育ニーズを反映して保育サービスの向上を確実に期待できる事業者を選定すること

(イ)既に入所している児童に配慮し、保育内容・行事などの保育環境について急激な変更を行わないこと

(ウ)民営化に関する情報公開を積極的に行い、入所児童の保護者の意見・要望を聴きながら、保育の向上を図るという共通の目的にたった信頼関係の下に進めること

(エ)民営化後の行政が果たしていくべき役割・責任を明確にして保護者の不安を払拭すること」

という、民営化を円滑に進めるための条件を示していた。

これを受けて、『方針』で、法人選定に際しては学識経験者、市民代表者等からなる『移管法人選考委員会』で

「保育目標及び保育内容(特別保育事業を含む)、サービスの質の向上及び利用者保護、理事長及び施設庁の資格等、資金計画及び経理状況等(保育資産・事業の資金繰り)」等を選考項目とし、さらに移管後の継続事項として「保育士の配置・年齢構成、保育時間、保育料、保護者の経費負担、休園日、年間行事、給食、健康診断、障害児保育」などをあげて、「移管予定の市立保育所で実施している保育内容及び新たな保育サービスの実施」の継続を義務付けるとした。

こうして、以下の条件で民間移管が実施されることとなった。

1.保育内容について

・障害児保育を引き続き行うこと。

・地域育児支援事業を引き続き行うこと。

2.職員について

・入所児童数に応じて、本市法外基準にも基づく保育士等を確保すること。

・次のとおり経験者を確保すること

施設長 社会福祉事業の経験15年以上

保育士 経験10年以上の保育士を2人以上

経験5年以上の保育士を1/3以上

3.新たな保育サービスについて

・幼児に対する主食の提供

・保育時間の延長

平日 7時から20時

土曜日7時から18時半

・一時保育の実施

4.三者協議会について

・移管先法人は決定後、当該保育所の保護者、法人、横浜市からなる三者協議会に参加し、移管に関する諸事項について調整すること。

5.第三者評価の受審について

・移管後、3年以内に第三者評価を受審すること

これを受けて、市では以下のスケジュールで保育所民営化に取り組んでいった。

03年8月、移管法人の募集

03年10月、移管法人の決定

04年1から3月、法人への引継ぎ・共同保育

04年4月、移管(民営化)実施

さらにその後、05年4月、06年4月と各4園の移管が実施され、06年段階で12園が民営化された。

 

3.廃止取り消し訴訟

この横浜市の保育所民営化において、04年4月に民営化された4園の保護者67家族が、市立保育園の民営化による「廃止処分」に対して、横浜市にその取り消しと各家族に20万円の損害賠償を求めて訴訟が起こした。これについて、06年5月、横浜地方裁判所は、「原告の保育所廃止処分取り消し請求は棄却。ただし、民営化を平成16年4月1日に実施するとしたことは違法と認定。損害賠償請求については、一世帯10万円の支払いを命ずる」とした判決を出した。自治体の保育所民営化については、大阪などで訴訟を受けているが、民営化そのものを違法としたわけではないが、民営化に伴う市立保育所廃止条例が違法とされたのは、全国でも初めてのケースであった。

この訴訟では、まずこの民営化に関わる「横浜市保育所条例別表」から該当する4園を削除する条例について、「処分」にあたるとされた。原告の「保育所において保育を受ける権利」が、この条例によって侵害されたとして抗告訴訟の対象である処分にあたると判断された。

さらに、この条例制定自体について、民営化自体は「最良の範囲内と解する余地もないではないが」としながらも、条例制定の1年後の平成16(04)年4月の民営化実施については、「裁量の範囲を逸脱、乱用するものとして違法」と判断された。

つまり、まず保育所の民営化が訴訟の対象であり、その上で今回の民営化が性急であった点を違法とし、原告の損害を認めて1世帯10万円の国家賠償を認めたのである。

民営化の時期等の過程で自治体の手続の違法性を明確にした判決であり、大阪や札幌で行われている同様の訴訟や、今後の自治体の保育行政に与える影響は大きいと思われる。しかし、市は06年5月、市会に「控訴の提起」の議案を提出、可決されたため、東京高等裁判所に控訴することとなった。

横浜市は、保育所民営化によって、延長保育、一時保育どの大きなサービス向上が実現するとして、実際、保育サービスの大幅な向上が見られた。しかし、従来からの保育所利用者にとっては、現状が大きく変わるという不安感が大きく、裁判所に市が3ヶ月用意した移行期間や説明では不十分と判断されたのである。民営化される保育所利用者は、基本的にはその保育所のサービスに満足していたわけだから、それを民営化することの説明により丁寧であるべきだったと思われる。実際、市では05年以降の民営化では、説明等の期間を長く取り、その後は大きなトラブルには至っていない。

 

4.検証

横浜市は、民営化に際して「第三者による受審」を明記したとおりに、2005年11月、04年に民営化した4園、および05年に民営化した4園について、移管の検証を行った。

保育園の定員や受け入れ年齢の継承、費用負担を府警に求めないこと、休園日や年間行事の継承、職員数や経験者の確保などは、民営化8園すべてで守られた。地域育児支援事業は、育児講座の実施で一部の園で06年度から実施など、若干の遅れが見られた。

一方、幼児への主食の提供や、延長保育サービスの実施の「新たなサービス」は、全園で実施された。しかし、一時保育事業については、多くの園で「準備が整い次第実施」となっており、遅れは否めない。

さらに、運営費については、04年度から06年度の3年間で、156人の職員定数の削減、2億8千万円の縮減(18%減)を実現した。また、初年度の裁判になった保護者の説明の不足について、説明時期を早める等の対応をとっており、次年度以降は、大きなトラブルは発生していない。こうして、横浜市の保育所民営化について、概ね良好に推移しているとの判断がなされている。

保育所の民営化は、単に財政支出の削減を目的に行われるべきものではない。実際、横浜市でも保育サービスの多様化への対応を第一に掲げており、民営化の結果として、財政支出の縮減が実現してことになっている。しかし、より一般的に言えば、すでに政府が国の諸活動を見直し、政府は企画立案を担い、実施機能については外部化する方針を示している。自治体においても、同様の実施機能の外部化が必要のはずである。

横浜市では、国の基準を満たした認可保育所において、公立保育所が、民間保育所に比べて、サービスでもコストでも劣ることが明らかにていた。市立保育所を民営化すると言う判断は、極めて当然のものであった。

しかし、実際に市立保育所の保護者は、たとえば延長保育を必要としないからこそ、児童を市立保育所に通わせている。その保護者にとっては、民営化によって延長保育が可能になるというメリットよりは、民営化によって保育士が替わってしまう、という不安のほうが大きくなるのは、当然である。その意味で、市はより慎重な保護者への説明責任を果たすべきであった。

しかし、保育所を民営化することで、大きく保育サービスは多様化し向上するし、実際に第三者による審査でもそれが確認されている。少子化が進む中で、今後自治体の保育行政のあり方がより厳しく問われることとなる。自治体と民間との役割分担の見直し、といった大きな視点で、この保育所民営化が議論される必要がある。